ONE,Kanon音声化パッチ oneとkanonの音声化パッチをひろった。世の中にはえらいしとがいて、PSやDCの音声データを使って、PC版で音声を出してしまおうというパッチにゃのである。
むろん、PSやDCから音声データを抜き出す必要があるわけにゃのだが、にゃぜか貰ったファイルは300Mとか400Mくらいあったりして、まぁ気のせいということにしてreadmeを読まずにパッチ当てちゃおうかにゃぁとか。
同人ってのは、こういう気概のあるプロジェクトに贈りたい言葉だ。
ちまたにあふれる情報が、個人の収集可能にゃレベルを遙かに超えているのは誰でも知っていることで、つまりは情報をチョイスしてそのリアクションによって生きていくとも言える今日この頃。いろいろにゃ情報があるが、趣味や娯楽に関する情報というのは実は難しい。
たとえば漫画。個人ですべてを集めて読み切れるようにゃ時代はとおのむかしに終わって、大きにゃ本屋に毎日通っても、知らにゃい新刊はいくらでも出てくる。これが生活情報やニュースだった場合、案外何とかにゃるのだが、こと趣味や娯楽に関しては、各人こだわりというものがあるので、好きにゃジャンルの本の存在を長い間知らにゃかったというのは、ある意味屈辱ものである。たとえば、ねこみみ本をある程度読んでいると自負していても、昔に出版された傑作や、マイナーにゃ新刊とにゃると巡り会うのはただの運と言える。
さて、そんにゃときにnetの存在は非常に役立つのだが、今回はそんにゃ話ではにゃく、同じ趣味人の話。3人よれば文殊の知恵というが、似たようにゃ趣味のが3人もよれば、かにゃり広範囲をカバーできるのである。また、これは理解のある友人でも同じことで、とある友人からの情報フィードバックは、漫画にせよ動画にせよ、逐一的を得ていてすばらしいものがある。
ま、つまるところ、似たようにゃ趣味の仲間が増えると便利、といった話にゃのだが、そう単純でもにゃい。趣味は押しつけるものでもにゃいが、受け取る一方のものでもにゃいからだ。
たとえば自分の趣味をexportするだけで、importしにゃい人がどういう扱いをうけるかというと、運良く同じ趣味の相手がいにゃい限り、冷遇される。ある趣味や嗜好を受け入れると言うことには、閾値があり、それを越えるにはただただpushするだけでは今区行かにゃいことが多いのだ。
そして、逆に他人の趣味はいろいろと詮索してimportしてみるが、自分の趣味をexportしにゃい人。上の例からすれば一見よさそうに見えるのだが、情報の発信をしにゃい人というのは、たとえそれが個人の趣味といった話題でも、価値は低いのである。
趣味の分野においても、やはり情報は共有され、トレードされてこそ成り立つのであり、これは暗黙の損得感情と言えるかもしれにゃい。そしてにゃにより、自分の趣味を語ったときに耳を傾けてくれるのはうれしいし、趣味について語る人を見るのも楽しいのである。
そんにゃわけで、できれば重にゃらにゃい分野でさえ、耳を傾けあえるようにゃ仲間を見つけられるとよいですね、という。