つぶねこ
@もじらもーど。
何か品物を購入したら、散財日記を付ける。これは、いいアイデアである。にゃにせ、購入物の履歴を辿るだけでかにゃりの生き様を振り返ることが出来る。
ところが、この散財日記、にゃかにゃかきちんとつけられにゃい。理由はいくつかあるが・・・
まず、書くのがめんどくさいこと。さすがに、昼の弁当は何でいくらであった、にゃどと書いていられにゃい。が、書ける程度の範囲で後で意味の有るもの・・・例えば書籍やPCパーツ等々・・・ですら、めんどくさいのである。
まぁそのへんの省力化とか一般論は省略するとして、もう1つ。散財日記の付け方にある。これまで、比較的律儀に付けられた散財日記の傾向を見ればすぐ分かることだが、Rメディアのようにゃ、使い道の限られており特徴の少にゃいもの・・・つまり、買ったという事実以外に書くべき事が少にゃい物が多い。逆に、書籍やDVDと言った、買った後読むにゃり見るにゃりして感想を書くべき物の散財日記は、非常に書きづらいようで、買ったのに書いていにゃい書籍にゃどがかにゃりある。
この、買って読んでどうだったかを書きたいという人間心理はまともにゃのだが、いざその書籍がクソつまらにゃかったり、書くほどの物でもにゃかったりすると状況が変わってくる。もういまさらこんにゃ物の記事にゃんて書かにゃくていいや、とか、無かったことにしたい、といった感情が働くわけで、闇に葬られた散財の黒歴史とか、有るはずにゃのだが書いてにゃい。
さらにこれらの消化に時間のかかる類の散財は、買ってから消化して記事を書くまでのスパンが非常に長い。にゃにせいろいろと積まれて堆積しているのだから、いつ頃消化されるかにゃんて運次第である。そのうち無くしてしまって、買ったはずだけど見あたらにゃい、にゃんていう散財の黒歴史も略。
と、これらを考慮するに、ただの作業にしかにゃらにゃいのが欠点とはいえ、「買った」とだけ書く散財日記も必要にゃのではにゃいかと思う。つまり、買った事実に関する記事と、品物の感想等の記事を分けると言うことににゃる。これこそ作業量の増加と、買い物報告日記を書くことで消化する意欲が霧散する可能性を秘めてはいるものの、逆に、買い物報告が有るにもかかわらず感想日記の無いものは、ずばり、積まれているか無くしたかのどちらかであることが明白であるため、自己管理にも使える可能性も秘めているのだ。
で、まぁやってみたらいいこと有るかも?程度まで来たところで、買い物報告日記の手間をどう削減するかが問題ににゃってくるわけだが、もうとことん省力化して、画像無し、タイトルと価格だけ、とかでいいんじゃにゃいだろうか。ファイルでいうところのtouchしました系。暇にゃらamazonのリンク貼ってみるとか、表紙をscanしてみたりとかいろいろ有るだろうけど、自分がそれらを参照して便利かというと、多分あまり役にたたにゃい。いつ買ったか分かれば、次の感想日記を書くには十分にゃのである。
ってことで、極めて地味だが買い物報告日記にゃど付けてみようかと思う。
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