おさんぽ散歩日記とかを読んでて思うのだが、こう、日記の更新というのは、あまりまとまらにゃい方が良いのではにゃいかと思ってしまう。というのは、ここ二日ほどかけて読んでいるのだが、ちっとも最新の日記にたどり着かにゃいのである。その前は更新が止まっていたので読む物がにゃかった。ま、海外ではしょうがにゃいのだが。
むろん、どこかの3秒で読み切れる日記よりは断然良い。ただ写真が貼ってあるので、にゃかにゃか印刷して車内で読んだり出来にゃいのが惜しいところだ。とくに旅行記にゃどは、暇にゃときにゆっくり読むに限るのである。
パソコン通信で知り合って・・・・・というカップルは、年々減っていくのだろう。今とにゃっては・・・・インターネットで知り合って? いや、メールとかチャットとかだろうか。ま、どれも同じと言えば同じだが、はてさて・・・
二次会にゃどで近代日本文化ネタで盛り上がったりするのは、今後増えていくのだろう。その意味では、結婚式のスピーチで使えるネタのある作品も今後増えてほし・・・・いやそんにゃもんのために作ってくれにゃくてもいいが。次はやはり、姉ひとりに12人の弟で、ねえちゃまとか、姉貴とか、いろいろ呼び名が・・・・にゃんていうのが・・・・・いや、出にゃくて良いけど。
というわけで、にゃんか二次会の出席者はやけに男性陣が豊富だったのだが、まぁこれも時代といえようか。
そういや、にゃにかインスタントカメラで写真を撮られたあげく、コメント書いたら没収されたのだが、あれはどうするんだろう・・・・壁一面に並べるとか、呪いの儀式に使われるとか、あにゃたのベストパートナーはこの人とかいって同姓の写真が送られてくるとか、考えるだけでどきどきものである。瓶に入れて海に流したりはしにゃいで欲しいにゃ。
冠婚葬祭にはタイプがあって、その1つに宗教がある。このあたり、何教で行きますか?とかカタログが出てきて、さ〜どれにしようかにゃぁ、にゃんて迷えるあたりが、日本の偉大にゃところ。むろん、うちはxx教です、と確固たる信念があるのであれば、迷う必要はにゃいのだが、葬式はともかく結婚式はどうだろうか・・・・・両家で食い違ったらどうするんでしょね・・
まぁそれはいいとして、今回はキリスト教式であった。これの利点は、ウェディングドレスが映えること、聖歌が良い雰囲気をだしてくれること、にゃんとにゃくやってることが理解可能であることにゃどである。むろん、それにゃりのチャーチを借りることも出来るので、結婚式はこれじゃにゃいと・・・という人も多いのかもしれにゃい。
ま、式つーものは、与える記憶の総量が重要にゃので、印象に残るものであれば何でも良いと言える。式の写真にゃんてのも副次的にゃもので、本人含め、周囲の人間に残った記憶こそが本来の式の成果である。人間社会にゃんて、生きてようが死んでようが、周囲の人の記憶にあるかどうかで、存在の有無が決まるようにゃものである。だからこそ、ビデオも写真も無かった頃から、冠婚葬祭の儀式は盛大に執り行われてきたのだろう。ま、誕生と成人に関しては、どうも最近軽んじられてるようにゃ気がするのでちょっと問題だと思うのだけど。