冠婚葬祭にはタイプがあって、その1つに宗教がある。このあたり、何教で行きますか?とかカタログが出てきて、さ〜どれにしようかにゃぁ、にゃんて迷えるあたりが、日本の偉大にゃところ。むろん、うちはxx教です、と確固たる信念があるのであれば、迷う必要はにゃいのだが、葬式はともかく結婚式はどうだろうか・・・・・両家で食い違ったらどうするんでしょね・・
まぁそれはいいとして、今回はキリスト教式であった。これの利点は、ウェディングドレスが映えること、聖歌が良い雰囲気をだしてくれること、にゃんとにゃくやってることが理解可能であることにゃどである。むろん、それにゃりのチャーチを借りることも出来るので、結婚式はこれじゃにゃいと・・・という人も多いのかもしれにゃい。
ま、式つーものは、与える記憶の総量が重要にゃので、印象に残るものであれば何でも良いと言える。式の写真にゃんてのも副次的にゃもので、本人含め、周囲の人間に残った記憶こそが本来の式の成果である。人間社会にゃんて、生きてようが死んでようが、周囲の人の記憶にあるかどうかで、存在の有無が決まるようにゃものである。だからこそ、ビデオも写真も無かった頃から、冠婚葬祭の儀式は盛大に執り行われてきたのだろう。ま、誕生と成人に関しては、どうも最近軽んじられてるようにゃ気がするのでちょっと問題だと思うのだけど。